【整える、が一番難しいのはなぜだろう?】
私も”整える”の大事さがわかって、実践もできるようになったのはつい最近。
講演会の最後に登壇されていた大学生のお二人も
「”整える”のが一番難しそう」と仰っていた。
←2024.6.2 講演会の様子
私達は小さい時から、
“富や名声・有名になること・世間一般に立派だと認められること”が良い事、目指すべき事、誇らしい事…と、様々な情報に触れることや、親・周りから言われたりすることで刷り込まれる。
“整える”よりも“無理をしてでも頑張る”のが偉いという認識が蔓延しているように思う。
コロナ禍の影響で、メンタルダウンする人や自殺者が増えたことにより、以前よりは
“最悪の状況になる前に休んだり、相談しましょう”という
呼びかけもよく目にするようにはなっているが…。
まだまだ旧い体制や旧い意識は深く根付いているままに感じる。
自分の心身を犠牲にしてまで頑張り過ぎてしまい、
その結果、“お金や名声を得たにも関わらず、満たされた感じがしない、幸せを感じない”と
いう人達がいる。
または“頑張っても報われず苦しいだけ”・“整えるなんて程遠い状態”になっている人達は前者よりも多いだろう。
それに若いと無理が出来てしまう。
しかし40歳過ぎて、睡眠をしっかり取らないと身体に支障が出るのを実感するようになった。年齢を理由に何かを諦めるなんてしたくない!という気持ちはあるものの…。
“整えること”の重要性を深く実感したのは本当にここ半年位。
20代・30代の時に一時的に睡眠を削っていたとしても
“どうしてもやりたくてしていた”
“自己肯定感が上がる活動”だったことは、
今となっては良い思い出になっている。
ただ、思い返すとミスは多かったり、危険なくらい、睡魔と闘っていた。
非効率な行動だったと思う。
今はなるべく夜9時に寝ることを目標にしている。
ネガティブな感情がいつもより多く出てくる時は、
身体の疲れを疑って、9時より前に寝ることもある。
疲れが残っている時と、残っていない時とでは、同じ状況でも感じ方が違う。
4時位に起きて家事をしたり読書したりする時間は、なんとも清々しい。
深夜に帰宅する夫に申し訳ないという罪悪感が
たまに浮かんではくるが、心を鬼にして消すことにしている。
私の心身の状態が整っている方が、家族に迷惑がかからない。
【レジリエンスー心のしなやかさ】
これも数年前まで全く持っていなかった!
“善か悪か”、“やるかやらないか”、かなりの0/100思考で、
それが原因で生きづらくなっているとは夢にも思わず、人生を半分位生きてきてしまった。
感情が逆撫でされるようなことがあっても、
ー呼吸置いて、スルーすることを心掛けるようになってから、状況が悪化したり、嫌な感情を引きずることが少なくなった。
もっと早く知って実践できていたら、もっと苦労が少なく生きやすかったのか!?
そう思うけど、気付けたことをありがたく受け取ることにしよう。
今の若い人たちにはレジリエンスの力を早いうちから知って、
悩むより、人生を楽しんで欲しい。
学校教育で、もう暗記するだけの学習はそこそこにして、
心についての学習が充実したら良いのに、と思う。
【スマホについて】
スマホで便利になったことは数知れず、本当にありがたい。
私が今、主に使っているのは
・YouTubeで心理学や自己啓発系の話を聞く
・I phoneに元々入っているリマインダー、メモ
・キャッシュレス決済
・Amazon
・Duolingoという英語学習アプリ
数年前まではLINE、Facebook、Instagramもよく使っていたが、今は必要最小限にしている。
人とのつながりは大事、だけど本当に大事にしたい事・大事に出来る人は、私にとってはそう多くないことにようやく気が付いた。
自分自身も含め、目の前の人達(家族)が一番大事だと強く思うようになれたのも恥ずかしながらここ最近のことである。
今までは“外へ、外へ”と意識が向いていた。
というより、外部からの承認が得られれば、家族に認めてもらえるのでは…と思っていた。
LINE、Facebook、Instagramの利用を減らした結果、自分と向き合う時間が増え、自分がどう生きたいのかが明確になってきた。
知らなくてもいいことは、知らないままで良いと思う。
外部に承認されることよりも、まず自分で自分を受容できることの方が、大切だというのが現時点での私の結論。
以前はSNSの通知が来ていると、夜中に目が覚めた時にも見てしまい、睡眠の質も悪かった。スマホとの適切な距離を自分でコントロールすることで、心がだいぶ安定した。
【つながる】
・人とのつながり
友達は少なくていい、そう書いてあり安心した。
たくさんの人を大事に出来るほど、時間のゆとりも心のゆとりも、今の自分には正直ない。
社会と繋がったり、貢献することももちろん理想。でもまず母として家族を大事にしたい。
・情報とのつながり
インターネットで多くの情報にアクセス出来、便利になったのも束の間、何が本当で何が嘘なのか、自分に必要ない事まで目に飛び込んできて、騒々しくもなった。
昔から伝わる“先人の知恵”からは悩みを解決する糸口が見つかったり、心を楽にしてくれる情報が多い。
本を読んで得た知識を、必要としている人に私も伝えたい。
内容を説明できるようになるには、“感想文を書く”、“読んで書く”のが読書、というのは考えたこともなかった!
せっかく読んだのに忘れてしまうのはもったいない!すぐにやりたい!と思った。
【行動する】
私はやってみたいと思ったらすぐにやる方、むしろ猪突猛進過ぎて、セーブしなければ…と自制する程…。
一方、これが出来ない人達は、元々の好奇心の度合いこそ違うのかもしれないが、「そんなことしても無駄」とか「そんなことしていないで勉強しなさい」とか、親や大人に言われてきた結果、世間体や他人の目や意見を気にして、自分の心に従うことを封じてしまっているのではないか。
大人たちへ、どうか子供の好奇心を削ぐような発言は慎んで欲しい。
もし逆の立場で自分が言われたらどう思うのかよく考えて、言いたいことがあっても温かく見守って欲しい。
行動すると、行動した先で、また次にしてみたいことが思いつくことがよくある。
例えば書いたい本があって本屋さんへ行くと、他にも読んでみたい本が見つかる…、“7つの武器”を読んだら、感想文を書いてみようと思う…等。
(キャンペーンに惹かれたのがかなり大きいですが…)
結果はどうであれ、経験や力になるのは確実。
行動することで、楽しみも自信も増える。
【夢について】
30半ばまで悩みだらけだった人生が好転した経験を活かし、悩みを抱えている方々が少しでも心を楽に生きやすくなる手助けをしたい。このブログを作ったのも、その思いから。
それにはまず、自分の状態が整っていることが第一、そして私の身近な人の心が平穏で、そこから初めてその先に進めると思う。
樺沢先生が映画好きで映画評を書き続けて、46年越しの夢が叶ったと書いてあったのを読んで、私もまだまだこれから、夢のままでは終わらないのかもしれない、と心が高揚した。
長男が私と同じくHSP気質で、時々心の悩みを打ち明けてくれる。話すことで楽になったと言ってくれた時は、本当に嬉しかった。
繊細過ぎて生きづらいと感じることもたくさん経験したし、今でもある。
しかし大事な人の気持ちを分かってあげられて、楽にすることが出来るのならHSPで良かった、と心から思える。
いつかもっと多くの人の心を楽にする”何か”が出来たら…。それがどんなことなのかはまだ分からないけど、今出来ることを出来る範囲でしていこうと思う。
【最後に】
・生き方は学校で教えてもらえない。
指標となるものがあれば道標となり、安心材料になるという樺沢先生のお考えに大賛成!
道徳や倫理の授業が少しはあるけど、もっと増やしても良いのでは?と思う。
・学校で教えてもらえない部分を、息子達に強要するのではなく体現して示したい。
悩んだり不安を抱える人が多い中で、明るく生きていられるのはなぜ?と相手が知りたくなるような人でありたい。
長文お読みくださり、心より感謝申し上げます!
樺沢先生、素晴らしい本の出版と講演会、本当にありがとうございました!